Epilogue: 寄り道バンコク


帰りのバンコク乗継の待ち時間は10時間ほど。

ダナン空港でバンコクから成田の搭乗券も発券されたし、あとは乗るだけという状態なので聞いてみたら、バンコクでいったんタイに入国して空港外に出てもよい、とのこと。

やったー! ちょっとした小躍り。

21時。愛しの赤バス53番

タイという国には嫌というほど何度も来ているが、実は、それほど思い入れがない。

年老いた西洋人と、孫みたいな年齢の若いタイ人女子みたいな、すごく不健全な香りがする愛の形を目にするのが辛い。

仏教国だからなのか、イスラーム教やヒンドゥー教の影響が強い国と比べると、性のタブーよりも生活向上、貧困から抜け出すことが優先される国で、どこへいっても、それこそ高級ホテルのとても格式高いレストランでも、この手のいびつな関係を目の当たりにして、若いころはずいぶんと気が滅入った。

まあ、まだまだ愛を信じたい年ごろではあるけれど。

生きるために必死なのは悪いことじゃない。

なんだか最近、そんなふうに思う。

そうすることにより、双方、メリットがあるならば、オカネで買える性愛も、愛人関係も、わたしゃ、知らん。

タイ人女子に骨の髄まで搾り取られて右往左往している日本人男性も、本人がそれでいいなら、わたしゃ、知らん。

勝手知ったるカオサン通りに10年ぶりに顔を出し、ああ、相変わらず享楽的な世界だなと感心しながら、チャオプラヤー川沿いの道へ。

ここを通る赤バス53番は、20円ほどの破格に安い運賃で、中央駅、中華街、王宮と、バンコクの見どころの近くを周回する。

ワット・アルン(暁の寺)を通りすぎる

若いころ、あれやこれやと身辺がざわつくバンコクの夜、行き場がなくて、深夜、このバスによく乗った。

エアコンは効いていなくて暑いし、途中で急に運転手の気まぐれで運行休止して降ろされたりもするけど、誰も私を知らない、誰も私のことを気にしない、そんな空気に満ち満ちた車内が不思議と落ち着ける。

この日、来たかったのは花市場。

暑くて枯れてしまうので、花市場は夜開く。

持っては帰れないけど、甘い香りと、鮮やかな色彩を眺めにいく。

タイといえば蘭の花
こちらは車のなかなどでもよく見かけるお守り用の花輪
ジャスミンの花部分だけを集めてある。甘い香りが漂う
蓮の花の蕾。花弁を開いて水瓶に浮かべたりする
前国王の写真が見守るなか、大量の蘭の花
無造作に積み上げられた蘭は、どこへともなく運び出されていった
花屋ばかりのなかに果物屋さん。水商売系のおねえさんおにいさんが花と一緒に買っていく
花弁だけを売る専門店が連なる市場の入口

この先どうなるかなんて、誰にもわからない。

でも、いるものといらないものを選んでいくことはできるし、他人じゃなく自分で選んだことには、恨みつらみは、それほど残らない。

すべては移ろいゆくもの。場所もものも、人の心も。

なにかの縁で交差したのであれば、きっとそれは必要だったからだ。

はい、いい旅でした。

おしまい。